社内じゃなく社外で勝つ ~左遷された勤め人の生き方~

左遷された窓際サラリーマンが、やりすぎな節約とほどほどの投資によって出世エリートより幸せになれることを証明するブログ

結局まじめな人が人生に勝つ

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最近読んだ本の中でかなり心に響いた本があります。

 

「わたしの財産告白」「となりの億万長者」


私の財産告白 (実業之日本社文庫) [ 本多静六 ]

 


となりの億万長者〔新版〕 [ トマス・J・スタンリー ]

 

 どちらも実体験やデータといった明確なものに基づいて書き上げられた本です。昔はホリエモンさんが書いたような自らの生き方を変えるための本や、成功者の思考的な本を読むことが多かったのですが、最近ではこのような、実体験や膨大なデータから導き出された「答え」が書かれている本しか読まなくなりました。

 

 これは歳をとるにつれて自らの思考が固まりつつあり、自分に他人の思考を取り入れる必要性が少なくなっているのではないかと思います。

 

これの究極の形が「老害」なので注意は必要ですが(笑)

 

まじめな人が強い

 以前は本を読むたびにその著者の思考に大いに感銘を受け、次の日からはまるでその著者にでもなったかのように自らが賢くなった気がしたものです。

 

 しかしそれはただの勘違いで「本を読んでいる俺は賢いぞ」という他の人とは一味違う感に浸りたかっただけでした。

 

 そのバカ丸出しのガキだった自分を経て、最近辿りついた人生においての正解は、忍耐を伴う愚直な行動こそが大切ということです。

 

 成功者の思考が書いてある本を読み、何十年と積み重ねてきた自らを偽って成功者の思考になるよう努力することも良いですが、自分を偽らず、自らが感覚的に正しいと思う道をひたすらに時間をかけて進むほうが、成功にたどり着く可能性は高いと考えます。

 

 俺はまだ道半ばなのでこれが正解かどうかもわかりませんが、外部からの薄っぺらい「自分を変えろ」「自分を偽るな」「サラリーマンはオワコン」「まだ東京で消耗してるの」なんていう言葉を真に受け、自分が何者かになれる特別な人間であると考えている人は、言葉は悪いですがちょっとロクでもない人が多いです。

 

何者かになった人

 まず自分が何者かになった人って、何者かになろうとしてなったのではなく、愚直に進んだ結果なった、ということのほうが多い気がします。

 

 今回読んだ本の著者である本多清六氏もそうです。資産家になるために誰もが再現性のある愚直な行動指針がたっぷりと書かれています。

 

 俺は何者かになった人って実力より運的な要素が強い場合が多いと考えていて、そういう人の話が本になるわけであって、その本読めばそりゃ後付けで「そこにたどり着くにはこうすれば良い」ということになってしまいます。それを鵜呑みにするのは危険です。

 

 ウチの会社でも偉くなった途端に、若い頃はこうしろああしろ、という人がいますが、そんなの結果的にあんたがそうして偉くなっただけで、そうしても偉くならなかった人もたくさんいますよって話です。

 

こういうように実力ではなく偶然的に偉くなった人って基本的にうるさいです。

 

 実力的に、もしくは圧倒的忍耐を駆使した努力、で偉くなったり何者かになった人というのはあまり多くを語らないような気がします。

 

まとめ

 実力じゃなく、実力以上のものを手に入れたやつはうるさい。ということです(笑)

 

 そして歳をとって幸せそうに暮らしている人というのは、偶然や本を読んで急に思考を変えたような人ではなく、感覚的に正しいと思う道を、時間をかけ、忍耐強く、愚直に、まっすぐ進んできた人が多いということです。

 

 あなたがもし「まだ東京で消耗してるの」なんてうすい言葉で生き方を変えてしまうような人ならば、良い歳して自らの芯がない、うすい人間かもしれません。

 

うすい人間はうすい言葉に感銘を受けます。忍耐、我慢、といった泥臭い言葉にはまったく耳を傾けません。

 

 石の上にも三年という「なんでもかんでも耐えろ」ということではありませんが、自らや古人が重んじてきた行動にはそれなりの意味があると考えます。

 

そして俺はそれを今、仕事、節約、投資、で実際に体現している最中です。我慢の連続ですよ人生は。

 

しかしその先にゴールがあると俺は信じています。

 

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